定年退職の日がやってくる

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こんにちは、
よしおです。

定年退職の日はやってきます。

正確にいうと定年後に2年弱の再雇用後を経験しての退職です。

新卒で入社した会社に37年。

退職の日が近づいてくると、色々こみ上げてくるものがあるのかと思っていましたが、あと3ヵ月後に退職を控えている現在、特になにも感じません。

というよりも会社にも会社の業務にも、なんの未練も感じません。
ただ、名残惜しく感じるのは、仲間たちとの別れです。

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定年退職の日がやってきても

僕は仕事が好きです。
僕にとって、仕事とは、食事をする、トイレに行く、寝る、つまり生きることです。

食べることは生きることと言いますが、仕事をすることは生きることだと思っています。

人生の最後まで働こうと考えています。
また、働けなくなったら人生の終わりも近づいたとも感じるでしょう。

そんな僕が、37年間も働いてきた会社に対して退職の日が近づいても未練は感じません。
もしかして直前になったらこみ上げてくるものがあるのかもしれません。

そこでどうして未練を感じないか、と考えました。

結局雇われて働いてきたからではないかと思います。

内館牧子著『終わった人』の主人公は、定年退職したあとも物足りなさを感じて、頼まれて知人の会社の顧問として勤めます。

僕には、そんな心残りはありません。

勤めた会社で、いい思いをしていなからかもしれません。

いや、不満だらけの会社員人生ではありませんでした。十分活躍させてもらったと思います。

でも『終わった人』の主人公のように再び組織で働こうとは思いません。

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定年退職の日 出会いと別れ

定年退職の日を前にして、会社や会社の業務にほとんど未練を感じませんが、人との出会いと別れについては、たくさんの未練と思い出があります。

沢山の出会った取引先の人たち、亡くなった人もいます。ま

た会いたいと思う人もいます。
お付き合いしたいと思った女性もいます。

一言足りなくて別れた女性もいます。

結局、20代前半から60歳までの人生の一番実り豊かな時期を過ごした会社員時代ですが、結局、会社の仕事と言うのは生きるための手段でしかなかったということでしょうか。

ただ会社の仕事を通じて多くの人たちを出会ったことは良かったと思います。

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最後に

37年間の会社員人生を振り返れば、出会いと別れを繰り返して来ました。
そして自分はその人たちの記憶に残るかどうかは別にして、その一瞬、一瞬を大切にしていたかというと適当にやっていたり、いい加減だったり、自分よがりだったりと申し訳なくなく感じてしまうこともあります。
人生の最後は結局一人です。

それまで出会った人たちとの時間を大切にしたかどうかに一番未練が残ります。

だから、残された会社での時間を仲間たちと一緒の空間で働くという時間大切にして行こうと考えていました。

僕は、退職する3ヶ月前にはこんなことを考えていました。

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