我慢の境目はどこか

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こんにちは、
よしおです。

65年生きて来て、我慢は必要だと思います。
一方、我慢のし過ぎは止めた方がいいと思います。

何事も、過ぎたるは及ばざるが如しです。

今日の東京新聞の朝刊の「香山リカ ふわっとライフ」を読んで、ふと以前からぼんやり思っている我慢について考えてみようかと思い立ったのです。

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香山リカ がまんって大切?

精神科医香山リカさんは、その考え方や行動などから信頼を寄せている方です。何冊か書籍も読みました。

近年、東京の大学教授の職を辞して、地域医療の現場に飛び込むと言うことで、北海道の診療所に勤務されています。
今朝の東京新聞のコラムを簡単に説明します。

・勤務している北海道の診療所の患者には高齢者が多く、昔の苦労話をよく聴く。
・もしそんな方たちに「どうしてがまんしたのですか?なぜ他の場所へ逃げなかったのですか?」と質問したらどんな反応をするだろうか?
・自分の想像では、我慢するのが当たり前だったと答えると思う。
・だからその方たちの我慢があって、現在があるから間違いではなかったとは思う。
・一方、自分の人生を自分で選んだり決めたりする自由も大切ではないか?
・必要な我慢があり、無理な我慢は心身を蝕む。
・良い我慢と良くない我慢の境目はどこなのか?

ということで、香山リカさん自身は、明確な結論は出していません。

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できる我慢 できない我慢

我慢とは個人さの大きいものだと思います。
三省堂の新明解国語辞典第八版で調べてみると、

・精神的・肉体的に苦しい事があっても、意地で凌ぎ通し、弱音など吐かないこと。

だそうです。

つまり、あくまで耐え忍ぶことで、しかも自分自身で誰かの力を借りたり、他の方法を利用するのではなく、精神的・肉体的な苦しい事を受け止めて、耐えていくことのようです。

その耐える力は個人差があり、ある人には耐えられることでも、ある人には耐えられず、そこから逃げたり、弱音を吐いたり、止めたりするわけです。

また、その耐える力は、精神的・肉体的な力だけではなく、経済的な力も必要です。
例えば、コロナ禍において仕事がなくなり、貯金があれば半年我慢できたけど、貯金がないので我慢できず、なんでもいいからアルバイトを始めたという人も多かったのではないでしょうか?

僕は、定年後5年間可能な再雇用期間を2年弱で止めてフリーになりました。
それは正社員として給料をもらっていた時は、会社の風土や経営者に人間性になんとか我慢してきましたが、再雇用になり給料は6掛けになり、いままで我慢してきたことが、我慢できなくなってフリーになったのです。

つまり経済的な案件で、我慢できたことも我慢できなくなるという具体例です。

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まとめ

子供の頃から親からよく我慢しないと言われたものです。
そう言えば、自分の子供たちにも我慢しなさい、と言っていました。

我慢および忍耐は必要なことです。
我慢がない人は、信頼をすぐ失ってしまうでしょう。

でもそれは程度の差であり、我慢しすぎることは精神的にも肉体的にも良くないので、無理な我慢はしない方が良いと思います。

では、我慢すると我慢できないの境目はどこでしょう?
やはりこれは個人個人が考えることだな、と思います。

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