サラリーマン 生き残ってしまった

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こんにちは、
よしおです。

37年間サラリーマン人生、なんとか生き残ってきました。

僕が、37年間勤めていた会社に入社したのが、1982年(昭和57年)のこと。
会社案内には、定年55歳と記されていたことをいまでもはっきり憶えています。

ただ、当時は会社に定年まで勤めた人はいなかったし、僕自身30年後か、生きてんのかな、程度にしか思いませんでした。

24歳の青年にとって、55歳なんて遠い、遠い先です。

単純に55歳という年齢が、遠い未来としか思えず、生きているんだろうか?と素朴に感じたからです。

また父親もまだ40代でしたし、昭和30年代前半生まれの僕には、人生は50年足らず、という考えが沁み込んでいました。

だから、定年後のことなんか考えることもしませんでした。

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定年後 生き残って思う

 

サラリーマンとして過ごした37年間は、いまでこそ働き方改革と言われ、労働時間の短縮が当たり前だし、残業はいけないものという常識になりつつあります。

しかし、僕は20代から50代前半くらいまでは、残業、休出は当たり前、しかも僕が勤めていた頃の経営者は、有給は悪だということを公言するような人で、それが会社の文化にもなっているくらいでした。

だから過労で出勤できなくて辞めて人も多いようです。


中には、過労が原因どうかわかりませんが、亡くなった人もいます。

また、取引先の方で親しくお付き合いを致していた方にも亡くなった方が何名がいます。

皆さん、事故とかではなく病気や急死でした。

定年まで、そんな方々を何人も見てきて、本当に定年後を迎えられたことに感謝しています。

だから、定年後に生き残って思うことは、その方々が迎えることが出来なかった定年後を楽しもうということです。

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定年後の生き方を教えてくれた人

 

定年まで1年を切った頃、お世話になった14歳年上の顧問の方が、急死されました。

顧問ですから、定時には出勤せず、昼頃会社に来て雑務をされてから、夕方会合に行かれました。そこで急に具合が悪くなり、救急搬送中に息を引き取られたそうです。

その日、最後になったメールは僕には届いていましたが、内容は当然簡単な業務報告でした。

翌朝、会社で訃報を聞いた時、すぐ信じられなかったことをよく憶えています

前日に出勤された時は、見かけはしましたが、話しはしませんでした。

通夜には、ヘルプで行ったのですが、奥さんが、普通に昼食をとって出勤したのにね、と急なお別れが、まだ受け入れられないようでした。

それから、約3ヵ月後、再び訃報が届きました。

その方は、12歳年上で、やはり顧問として直接お世話になった方です。

体調を崩されているとは聞いていましたが、まだ72歳。

その時、僕は既に再雇用で1年だけ働こうと決めていました。

でも1年だけと決めていました。結局は、1年10ヵ月でしたが。。。

お二人の先輩の死は、僕にあと10年か、というタイムリミットを示された思いです。

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最後に

 

定年後も生き残ったことはラッキーです。
命にかかわるような大きな事故や病気の経験はありませんが、若い頃はオートバイで何度か事故の巻き込まれたり、サラリーマン時代は、月に100時間近くも残業や休日出勤をしたりしました。
また過労で、営業車に高速道路を走って、ふと眠りかけたことも何度もあります。

そんなことを考えるとよく生き残ってこれたものだと有難い気持ちになります。
だから余計に残りの時間は、無駄にしたくないと思います。定年時の60歳の時、あと10年と思った気持ちを大切にしたいです。

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