こんにちわ、
よしおです。
僕は、1957年(昭和32年)生まれです。
だから今年で64歳。
性格の形成期と言われる幼児から思春期の高校生までは、60年代から70年代の前半に過ごしました。
僕が幼少の60年代(昭和30年代後半から40年代前半)は、まだ町には野良犬がうろつき、トイレも汲み取りで、家には風呂もなく銭湯に通っていました。
また、小学校時代は、生徒たちの多くにはまだまだ寄生虫もいて僕も虫下しを飲んだ記憶があります。
昭和30年代はおとぎ話
映画「ALWAYS三丁目の夕日」が話題になり、昭和30年代にノスタルジーを感じた人も多くいると思いますが、その頃を体験している僕にとってはそれほどでもありません。
むしろ不衛生で乱暴な時代だったと思い返します。
もちろん懐かしさはありますが、また戻りたいとは思いません。
しかし、良かったなと思うこともあります。
それは現代よりずっとおおらかで適当だったことです。
つまり現代の管理社会に、息苦しく感じる僕ですが、当時は、いまよりずっとおおらか、悪く言うといい加減な時代でした。
あと当時僕は子供だったこともあり、詳しくは分かりませんが、就職と結婚は今に比べれば、当たり前でした。
あまり難しく考えないでもとりあえず、仕事と結婚相手はいたようです。
そう、昭和30年代は、おとぎ話としては面白いです。
また今よりずっと老人が少なく、大事にされていたように思います。
いつの間にか少年はおじいさんに
さて、当時子供だった僕は、自分がおじいさんになる頃のことなんか考えてもみませんでした。
大体、21世紀には、40代になっていると考えるとずっと先のことで、それまで生きているんだろうか、なんてことも思っているくらいです。
しかし、少年は時と共に大人になり、社会人として会社勤めをして、結婚して、子供を育て、いつしか老人となろうとしています。
政府は、「改正高年齢者雇用安定法」でこの4月から、企業に対して希望する従業員に対して、70歳まで雇用する義務を課すことになりました。
ただ現時点では、あくまで努力義務ですが、数年後に義務になることは必至です。
僕は、既に正社員として企業に雇われる立場ではなくなりました。
だから、今後、企業やそこで働く人はどのようになっていくのか、ある程度客観的にみて行くことはできます。
しかし、世の中に変化が起きるとき必ず、抵抗があります。
3,4年前に70歳まで働く社会になっていくということがニュースになると、ネットなどで、特に30歳から40歳代でネガティブな反応がありました。
簡単に言うと70歳近い人たち一緒に仕事をしたくない、というものです。
また、自分の父親は辛い思いをして70歳まで働いた。そこまでなぜ働かせるんだ、という声もありました。
そして70歳近い人たち一緒に仕事をしたくない、という大きな理由は、仕事のテンポが違う、仕事に対する姿勢がいい加減、介護状態になるので、余計に生産性が落ちるなど、理由でした。
また、IT機器が使えないので、いちいち手がかかるという意見もありました。
でも果たしてそうなのでしょうか?
数年前の70歳とこれから70歳に向かう人では、違います。既に30代からパソコンなどのIT機器を使って仕事をしてきた人たちです。
なんら、今の30代から40代の人たちに引けはとりません。
老いる力が、働き方を変える
30代や40代の働く人からみると、60歳以降の人たちの働く姿やテンポが、ゆっくりしていると感じるかもしれない。
仕事のスピードも遅くなり、精度にも問題があるかもしれない。
でも、その適当さが、現代のがんじがらめの管理社会には、一種に癒し的な効果もあるのではないか、と僕は思うのです。
70歳まで、またはそれ以上働くにしても、精度や正確さを求める仕事には向かないでしょう。
一方、接客業など人と接する仕事には向くかもしれません。
つまり若い人にない、人生経験が発揮できる職種がいいかもしれません。
最後に
「ニッセイ基礎研究所HP」の中に、
「老いる力」はアバウトでいい加減に生きる「あそび」の力でもある。それは今の日本の社会デザインにも求められる。日本社会では論理的、効率的、合理的なことばかりに目を奪われ、直感や非合理性などの要素を加えた多元的視点が薄らいでいるように思える。現代社会は重要な「あそび」を失っているのかもしれない。
と書かれています。
もしかして現代の息詰まる管理社会はぶち破るのは、
老いる力、つまり老人パワーなのかもしれない。
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