こんにちは、
よしおです。
2018年に長澤運輸事件の判決が注目されました。
これは、横浜の長澤運輸に勤務する嘱託乗務員が、その賃金について、正社員との間に納得できない格差があるとして会社を訴えたものです。
会社を訴えたのは、長澤運輸㈱の元正社員で、定年後嘱託業務員になった三名の乗務員です。
その三名は、定年後の再雇用で同じ仕事内容を継続しているにも関わらず、賃金を正社員の79%に下げられたことに対して、
・正社員との処遇の差は不合理
・労働契約法第20条に違反している
と会社を訴えたのです。
僕はその訴えた人たちと同じ状況の時だったので、その裁判の行方を注目していました。
結果は、東京地裁での第1審で、原告の全面勝訴で、僕はすげぇと小躍りしたものです。
しかし、その後の東京高裁の第2審では、原告の訴えは認められず、結局、最高裁でも一部の手当てを除き原告の訴えは退けられました。
前置きが長くなりましたが、定年後の仕事として再雇用を選択した場合、仕事の評価と対価に感じる理不尽さについて考えたいと思います。
定年後 仕事の評価 後輩のひと言
プロスポーツの世界では、どんなに長く現役を続けていたとしても、いずれは力の衰えと共に、そのポジションが下がり、給料も下がります。
そして最終的には自分で辞めるか、それでも続けようとしても戦力外通告を受けます。
つまり仕事の評価と対価はわかりやすいと思います。
ところがサラリーマン生活を続けて、しかもある程度の役職などに就いていると、それが自分の実力でもないのに、役職者時代の特権などが、自分の力と勘違いしている人もいます。
つまり実力もなにのに役職が就いたことで、手当も増え、偉くなったように思う人もいるということです。
だから、多くの会社で設けられている役職定年やそれに続く定年に対して不満を持つ人もいます。
しかし、僕の場合は逆で、定年を迎えたことで、権限は無くなるけど責任もなくなるので、気楽に仕事が出来ると喜んでいました。
そう、仕事自体は嫌いではなかったのです。
そして給料分の仕事をすればいいや、と思っていて、ついある後輩の前でポロッと言ってしまいました。
それを聞いた後輩は、
「よしおさんが、そう思う気持ちはわかるし自由だが、口にしない方がいい」
と指摘されました。
それはもっともで、僕は大いに反省し、以降は一切そのようなことは口にしないことにしました。
そこで僕はどんなスタンスで仕事をしたらいいか、と考えました。
そこで僕が出した結論は、サポート役に徹する、というものでした。
僕の仕事自体も、営業のサポート、バックアップなので若い営業員たちの悩みを聞き、サポートする仕事に徹するということにしたのです。
定年後 仕事 喜び
そう考えることで、気持ちも楽になり、定年後も同じ部署、同じ業務を請け負いながらも若い営業員たちのサポートに徹しようといたことで、次第に2/3の給料の中で出来ることを精一杯やれるようになったと思います。
もう一つは、各営業拠点に行き、営業員たちの声を聞いて、上司に伝えるということもまめにやりました。
「定年も過ぎて、気持ち的には引退した。あとはマイペースに働きたい」
「健康のことも心配なので無理はしたくない。そこそこ働ければいい」
「働き続けられるのはありがたいが、給料が下がったのでそれだけの働きしかしたくない」
「正社員ではなくなったので、言われたことだけやっていればいいかと思う」
これは、人材育成・組織行動調査のキャリアネットワークに集まられた定年後の再雇用者の声からです。
僕は、同様の状況だったので、その気持ちはよくわかります。
ただ、考え方として、
定年後も引き継ぐ業務は、押しなべて2/3に力を押さえるのではなく、僕は、上司と相談して、やる仕事2/3にして、その仕事に全力を出すことにしました。
それで、関わる営業部の実績が上がったことで喜びを感じたものです。
最後に
仕事の評価と対価は、一致している方が気持ちのいいものです。
ところがサラリーマンの多くは、現役時代は、自分の働きに対して給料が低いと不満をいい、それにも関わらず、定年後も同じ会社で再雇用で働き、給料が下がったと不満をいいます。
あっ、俺のことか!
サラリーマン時代は、理不尽なことも多く、嫌なこともありますが、とりあえず給料日にはちゃんと給料が振り込まれました。
僕は、定年になった時、こう思いました。
今はの際に、
A:俺は65歳まで、サラリーマンを続けて幸せだった。
B:俺は自分な好きなことを仕事にして大変だったけど楽しかった。
Aはあり得ません。
やっばりBですね。
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