こんにちわ、
よしおです。
サラリーマン人生を37年間とちょっとやってきて、後悔はそれなりにあります。
結局、僕は社員数200名程度の中小企業で、部長までになりましたが、取締役になることもなく、部長職のあとは、課長、係長で緩やかに降格して定年を迎えました。
後から聴いたのですが、経営者は、役員にまでと期待していたらしいです。
それを聞いた時は、へえ、と感じたのと、役員にならなくて良かったと今は思います。
傍らから見ていれば、小さな会社でも出世できなかったことは、後悔としていると取られるかもしれません。
今回は、サラリーマン人生の後悔について考えたいと思います。
定年後 サラリーマン人生 仕事の後悔
37年間のサラリーマン人生で後悔したことはそれなりあります。
ところが、なぜか、不思議とほとんど後悔はありません。
かと言って、やり切ったという満足感もあるわけではありません。
あるとすれば、真面目に働いてきた自分を誉めたいのと、ずっと雇ってくれた会社への感謝だけです。
つまり、37年間、毎日10時間前後会社にいながら、それに対して特に後悔も満足もないのです。
だから、会社を退職した後に孤独になって鬱になる人が信じられないし、勤めていた会社の人事にまで、あーだこーだと言う人がいると聴くと、アホかと思ってしまいます。
それは僕の性格が淡白だからだと思います。
が、それだけではなさそうです。
なぜなら、先にも書きましたが、僕は20代から60代まで過ごしたサラリーマン時代に後悔があるからです。
定年後 サラリーマン人生 私生活の後悔
僕は、仕事ではほとんど後悔したという気持ちはありません。
しかし、私生活においてはそれなりに後悔はあります。
それは女性とお金に関してです。
ひとつは、30才の時にお互いに好意を持っている女性に交際を申し込まなかったことです。
だから、今でももしあの時、ひとこと言っていたら、違う人生を送っていたな、と思うのです。
もう一つは、30才過ぎに電話勧誘に乗って、投資用マンションを買ってしまったことです。
これで、その後の人生で金銭的に長く苦しい期間を過ごしました。
しかし、その後35才の時に出会った現在の妻と結婚し、三人の子供を儲けて現在まで生きてきたのですから、この2つを後悔というと罰が当たるかもしれません。
でも、もし上記の女性と交際していたら、または投資マンション話に乗らなければ、違う人生を歩んでいたなと思うのです。
最後に
人生は、選択です。
日々、小さなことから大きなことまで選択してきた結果が今の自分のなのです。
しかもその選択は、その時その時では、良いと思って選ぶのですが、結果的に良かったのか、悪かったのかは後になってみないと分かりません。
だから僕は、日々の選択に期待しないということにしています。
なんとなく、いいんじゃない?という方を選択しているのです。
つまり勘で生きるようにしています。
“勘は過たない、誤るのは判断”という言葉を大切にしています。
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