こんにちは、
よしおです。
勢古浩爾さんが、書いた『定年後のリアル』を読んだのは定年の2年ほど前でした。
勢古さんは、1947年生まれですから、今年で74歳です。いかがお過ごしでしょうか?
勢古氏は、34年勤めた洋書輸入会社を定年退職して、その後は文筆業で食っている人です。
僕が最初に読んだ3年前には、結構その生き方に憧れたものですが、いま、読むとこれからの時代にはちょっと無理があるかな、と思わないでもありません。
でもその通りだと思うこともあります。
今日は、この『定年後のリアル』に少し突っ込んでみたいと思います。
定年後のリアル 作者の言いたいこと
作者の言いたいことは、まえがきとあとがきに集約されていることが多いです。
小説は別としてこのようなハウツーものは、まえがきとあとがきを読めば、作者の言いたいことの方向性はわかります。
まず、えっ!?と思うのは、
定年後の不安は、「お金」「生きがい」「健康」と言っておきながら、本書にその「答え」はない、と言い切っています。
つまり巷に溢れている「退職本」「老後本」のほとんどは、夢や希望や楽しさにあふれた「セカンドライフ」をいい、「おひとりさま」でも大丈夫、
ほらこんなに充実して楽しい定年後や老後が待っていますよ、これからが本当の人生です、みたいなものばかり、と書いているものが多いです。
また逆に不安煽るものも多いと思います。
つまり、アメとムチと言ってもいいと思います。
定年退職者 自分で考える
勢古氏は、『定年後のリアル』について次にように書いています。
巷に多く出ている、夢や希望を売り物にしている本は役に立たない、主張するのがこの『定年後のリアル』という本である、と。そこからの勢古氏の論旨の展開は痛快です。
定年後の生き方、私はどうしたらいいの?なにか教えてくれ!というように具体的な方策を他人や本に求める根性がだめである。
求めさえすれば、自分の現実を変える「方法」や「答え」をお前は示すべきだ、という根性じたいがダメである。
そんな魔法のような「方法」も「答え」もどこにもない。
有名人や学者や金持ちに聴いても無駄である。
とほぼ読者にけんかを売るような論調ですが、結論は、どこまで行っても、自分の老後であり、自分の人生なのだから、自分で考えるしかない、としています。
よくぞ、言ったという感じです。
高齢者問題は社会問題
日本は、高齢化社会⇒高齢社会⇒超高齢社会へと突き進んでいます。
実は、この社会問題は、高齢者の問題ではなく、高齢者以外の政治家、経営者、現役の会社員、若者、子供たち、の問題なのです。
当の高齢者はほったらかしというか、国や社会から望まれているのは、体が動く間は、ずっと働いて、健康を保ち、年金の受給は繰り下げてくれ、そして振り込み詐欺のようなくだらないことに引っかからないで、貯め込んだお金をどんどん使ってくれ、ということなのです。
だから、一人一人の高齢者は、自分で自分をどうするしかない。
「自分のリアル」は自分にしかわからない。ワラをもつかみたい気持ちはわかるけど、所詮ワラにすぎない。他人の空虚なワラよりも、自分のたしかな一本の糸のほうがよほど大切である。
かならずしも陰々滅々の後半生ではないはずである。といって、楽しくてしょうがない老後などあるはずもない。
その間で、なんとかのんびりと自由に生きて行きたいものである。「いや、わたしはまだバリバリやるよ」でももちろんかまわない。それが一人ひとりの「自分のリアル」ということなのだから。
と勢古氏は、まえがきを締めくくっています。
まとめ
僕は定年関連の本を読んで、おかしいな、と思うのは著名人などが、上から目線で、定年後の生き方について、偉そうに書いているものです。
逆に役立つのは、具体的な年金のもらい方やお得な投資銘柄、それに起業についての本です。
上から目線の定年本がなぜ嫌なのかと言うと、内容が無責任だからです。
やはり、定年後の生き方は、これから社会人になるというものとは違い、ひとそれぞれの幅をかなり広いと思います。
結局自分で考えて行動していくしかないのですね。
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