最期くらいは自分の意志で

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こんにちは、
よしおです。

僕の母は、5年前の10月に亡くなりました。
83歳でした。
80歳になる前から施設に入っていたのですが、認知症のせいか最後の方は僕のことも分からない状況でした。

亡くなる2年か3年前に施設が提示する書類にサインをしました。
実はその少し前から判断を迫られたことです。

それは、それは救急搬送した場合、延命処置をするか、否かというものです。
僕と妹は、延命処置はしないという考えでしたが、父が迷っていました。

結局、僕が父を説得して処置をしないということでサインしました。

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映画 PLAN75の衝撃

7月の初旬に妻と映画を観てきました。

PLAN75 年寄りを働かせたらかわいそう?

この記事は、映画を観たあとで書いたものです。

現実的にあるとは思えないけど、今の政府なら考えるくらいするかもと思ったものでした。
つまり国を挙げての安楽死の推奨です。

75歳になったら自分の自分で人生の終わりを決めることが出来る。
それがPLAN75。

この映画を観たあと、たまたま読んだ五木寛之著『元気に下山 毎日を愉しむ48のヒント』の中で、五木氏は次のようなことを記しています。

五木氏は、読者からの以下の質問に答えるでの回答です。

質問:安楽死や尊厳死について、日本では様々な議論がなされていますが、五木さんのお考えを聞かせてください。

回答:せめて世を去る時ぐらいは、自分の意志で気持ちよく往きたい。
その方法のひとつとして、安楽死や尊厳死があってもいい。

さて、尊厳死は、延命治療を施さずに自然な最期を迎えることであり、安楽死は人為的に寿命を短くさせることであり、日本では犯罪とされます。

参照サイト
https://www.solasto.co.jp/company/solastoonline/toprunner-5.html

上記の認識は僕も分かっていましたが、つまり尊厳死と安楽死は近いようで、遠い概念ということでしょうか?

僕と妻の間には3人の子供がいて、既に3人とも成人していますが、3人には僕と妻に何かあっても延命処置はしなくていい、と伝えています。

また、僕と妻が結婚する時、お互い尊厳死がいい、ということで意見が合っていました。

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妻と結婚した本当の理由

僕と妻が結婚したのは、1993年1月のこと。
妻は28歳で僕は既に35歳になっていました。知り合ってから半年ほど、つきあっても3ヵ月ほどでの結婚でした。

結婚といっても区役所に婚姻届けを出しただけです。
特別タイプの女性ではなく(お前が言うな!)、僕のいい年齢だったのでまっいいかって乗りで結婚しました。

ただ、僕が意外とこの女性だったらなんとか上手くできるかな、と思ったのは、死生観に関してでした。

僕は割とドライか感覚を持っていて、延命処置に関して批判的な考えを持っていて自分の最期は尊厳死がいいと思っていました。

また臓器移植にもOKで、死後の世界の存在は信じてはいませんでした。
妻も同様で、死生観が近い、似ているならむしろ老後も揉めることはないかな?なんて思ったものです。

さあ、これから新婚生活が始まるわくわく感よりもそんなことを思ったものです。
あまり人に話したことはありませんが、妻と結婚した本当の理由はそんなところにあったかもしれません。

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まとめ

最期くらいは自分の意志で、というのは、有りだと思います。

しかし、これは本人自身の問題であり、映画『PLAN75』のように国が強要もしくは指導するのはおかしいし、むしろこれは怖い世界になりますね。

ただ、尊厳死に関しては延命処置を拒否したり治療を断ったりすればいいわけで、現在64歳の僕が、今後より高齢になった時にその意思を通して行けるかが、また家族が僕の意志を尊重しているに鍵ですね。

 

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