こんにちは、
よしおです。
“父は、今年二月で六十五
顔のしわは増えてゆくばかり”
で、始まる井上陽水の「人生が二度あれば」がリリースされたのが1972年。
当時の資料を見てみると、1970年生まれの男性の平均余命が69.31歳。
70歳を切っています。
つまり、当時65歳の人にとっては、あと数年の余生をのんびり過ごしたいと思うのが自然は感情だったと思います。
人生が二度あれば 1972
当時中学生だった僕にとっては、65歳という年齢は、全くのおじいさんで、もし65歳まで働かなければとその時聴かされていたら、きっとぞっとしたと思います。
その後、僕は高校生になり、折からのフォークソング・ブームに乗り、ギターを弾くようになりました。
岡林信康、吉田拓郎、かぐや姫、そして井上陽水などの曲を一人で、時には友人たちと一緒にギターを弾きながら、よく歌ったものです。
そんな歌った曲の中に、井上陽水の「人生が二度あれば」がありました。
確か、陽水さんのライブでこの曲を演奏する前に、父親のことを語ったメッセージが録音されています。確か“もどり道”というライブを収録したアルバムです。
この曲が作られたのは、1972年(昭和47年)ですが、当時の男性の平均寿命は約69歳。
井上陽水は、65歳の父親が、湯飲み茶わんでお茶を飲む姿に、寂しさを感じ、父親の気持ちを汲むように、「人生が二度あればなぁ」と歌ったのだと思います。
また、当時の平均寿命からいけば、あと数年の余生ということで、一種の諦観もあったのかもしれません。
人生が二度あれば 2021
しかし、あれから約45年。
日本の男性の平均寿命は、なんと80歳を超えたて来たのです。
70年代に60歳を迎えた男性諸氏は「ああ、俺もあと10年かぁ」と諦観とともにため息をついて、せめて老後はのんびり暮らしたいと思ったことと思います。
だから、残された時間で人生を取り戻そうとはなかなか考えられなかったと思います。
ところが、現代人は、人生が二度あればなんて、しんみりなんかしていられないのです。
楽観的に考えれば、人生を2度楽しめます。悲観的に考えれば、辛さが、倍増します。
平均寿命が延びたことをどう捉えるかによって、定年後の生き方が違ってきますね。
定年後を扱った本には、楽しい老後が待っているとか、これからが面白いという論調のものもありますが、ただ言えることは、せっかく長く生きられるなら、一度しかない人生を楽しみたいと思います。
定年までの人生は、家族のため、会社のために働いて、やりたかったことも出来ず、思い残すことも人によっては多いでしょう。
それなら、残りの人生は自分自身で楽しみたいです。
だれでも子供の頃やりたかったことがあったと思います。少年、少女の時に、思い描いた夢があると思います。
もし可能なら、定年後にやってみたらいかがでしょうか?
インターネット時代が夢を叶えてくれる
まとめ
僕の中学生時代の夢は、クラシック音楽の評論家になることでした。
たくさんのレコードを聴いて、これがおすすめ、これはだめ、ベートーヴェンのこの交響曲なら誰だれの演奏がいいと音楽専門誌に書いたり、有名な海外の音楽家が来ればインタビューしたり、コンサートの模様をレポートしたり。
また、ヨーロッパ、とりわけウィーンやドイツの各都市に行って、本場のクラシック音楽の紀行を書いたりなどしたかったですね。
ところが、インターネット時代がやってきて、その夢を叶えてくれそうなのです。
ブログという媒体を使って、自分のクラシック音楽のレポートが全世界に発信できるようになったのです。
絵の上手い人は、自分で書いた絵を世界に発信できるのです。自分の得意なことを世界に発信できるようになったのです。
だから、せっかく平均寿命が延びたのですから、子供の頃、やりたかったことを、みんなに自慢したかったことをみんなに教えたかったことを発信してみてはいかがでしょうか?
コメント