僕はジジイ でも認めたくない

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こんにちは、
よしおです。

年齢によるイメージというのがあります。
見掛けよりも実年齢が若い場合は、老けて見えるな、と思うし、
逆に見掛け年齢よりも実年齢が上の場合は、あの人若く見えるね、となるわけです。

またこれは僕の持論ですが、外からの情報が老けさせる要因の一つ、というものです。

これは自分の外見を鏡や写真から見て、
「あれ、俺ってこんなおっさんだっけ」と感じることです。

僕は、50歳前後、ショーウィンドウに映るスーツ姿の疲れたように見えるサラリーマンを観て、
「ああ、疲れたサラリーマンが歩いているな」
と感じましたが、その瞬間
「あっ、俺じゃないか!」
と愕然としたことがあります。

そこで僕の出した結論。
人は、実年齢より若いと思っている、ということです。

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ジジイ だけど認めたくない

TVでハイキング程度の登山で怪我をしたとか、遭難したというニュースを聞いて、それが自分と同年代の60代前半だとしても、自分のことは棚に上げ、
「いい年して、無理するからだろ」
とつい思ってしまいます。

また、長年のサラリーマン生活を止めて、平日の日中の時間も出来て、そんな時図書館などに行くと、同じような境遇と思われる年配の男性が多くいます。

彼らは、図書館のソファーやデスクに着いて、新聞を読んだり、本を読んだり、中にはパソコンを開いて、キーボードを打ったりする姿を見掛けます。

そんな光景を見て、帰宅して妻に
「平日の図書館はジイさんだらけだな」
というと、妻は、
「そうね、あなたもね」
と返され、「そっか、俺もか」とようやく気付くのです。

つまり、自分が60歳を過ぎて、傍から見ればすっかりジジイなのに、自分では気づかない、または認めたくない、というのが本音なのです。

また、時には自分から、俺は爺さんだから気を使えよ、と家族に言ったりします。

でも、それはあくまで自分は一般的にはジジイの年齢だけど、俺はまだだぞ、という意識が働いているのです。

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亡き母 最期まで年齢を認めず

僕の母は、3年前に83歳で他界しました。
最後の数年は、施設に入居していました。また亡くなる2年ほど前から、認知症なのか僕のことも分からないという状況でした。

まだ僕のことが認知できた80歳を少し過ぎた頃、母は僕に自分の年齢を尋ねてきました。
僕が応えようとすると、
「まだ、80歳になっていないね。まだだよね」
としきりにいうのです。
僕は、「そうだよ、まだ80歳になっていないよ」
とその都度、答えたものです。

つまり、人は誰でも年を取りたくないのです。
それは老いるのが嫌、人生の残りも少なくなるし、嫌なのです。
その意識が、実年齢よりも自分は若いと思う、またわ思わせるようプログラムされているのかもしれません。

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まとめ

もしかして、実年齢より自分が若い、または認めたくないというのは、理屈ではなく最期までしっかり生きれるようにプログラミングされた防衛本能なのかもしれません。

逆に考えれば、人は活動を続ければ、実年齢と共に衰えはするけど、自分はそれよりも若いと思っているので、出来る範囲で活動を続けることが出来るのかもしれません。

なんてことを考えて、今日もアルバイトに行きます。

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