こんにちは、
よしおです。
定年後再雇用して65歳で退職、その後自分で法人を作り精力的に活動を始めた友人がいます。
彼は、僕に再雇用期間は予備校のようなものだったよ、と語っていました。
彼は、日本人なら誰でも知っている大手企業に勤めていて、長らく海外支店にも勤務していました。
55歳で帰国して配属されたの部署が、今まで経験してこなった業務で1~2年くらいは、困ったそうです。
幸いにおその後、経験ある業務に戻って60歳で定年。
定年後は、給料が半分以下になったけど、いままで培ってきた経験をベースに後輩にように業務マニュアルを作ったり、
また海外赴任の経験を生かして社内の英語の研修もやって過ごしたそうです。
再雇用期間中の個人事業主
また再雇用期間中に趣味のカメラ撮影を生かして、個人事業主となり、
冠婚葬祭の撮影なども行うようになったそうです。
そんな彼だから、再雇用期間は予備校と言って、退職後にやることを決める期間として捉えることはよくわかりました。
さて、僕は従業員200名ほどの会社に勤めていました。
自分の中では、再雇用期間は予備校的な考えはありましたは、会社として重要な戦力として捉えられていたようです。
経営者目線で見れば、業界(僕がいたのは宝飾業界)のこともわかっている、仕事の経験もあり、取引先とも上手くやっている。
それが定年前より安いコスト働いてくれるから助かるな的に思っていたと思います。
本当にそう思っていたかどうかは、あくまで僕の推測ですが、社員をコストとみていたと思われる経営者の思考から十分想像できます。
人心を掴むことが上手い経営者なら、うまくおだてたでしょうが、そんなことができる経営者ではありませんでした。
結局そんな経営者と直に接することが多かった僕は、人間として尊敬できない経営者とは一緒にいたくなかったので再雇用を1年10ヶ月で早々に切り上げてしまいました。
もし65歳までいたとしたら収入的には今の倍以上はもらえただろうけど、身体的にも精神的にも自由度は少なく、不満も多かったと思います。
僕にとっては、再雇用はお金を取るか自由を取るかのせめぎ合いですね。
定年後 嫌なことはやらない
サラリーマン時代は、家族を養うことで、会社の業務となれば、嫌こともしたくないと思うこともやりました。
そんなことでストレスを感じることもありました。
でもこれは、野生動物が危険を冒してでも子供のために獲物を狙い捉えることと同じで、ストレスを感じながらの行っていました。
しかし、そんな養うべき子供たちも大人になり自立して離れていけばそこまでやらなくてもよくなります。
結局、定年後給料が下がったことでも、この給料で嫌な人と無理して付き合うことはないな、と感じるようになりました。
しかしことはそんなシンプルではなく、一緒に仕事する仲間はいい人ばかりだったので後ろ髪を引かれたことは確かです。
まとめ
僕が一番考えたことは、今はの際にどう思うかを想像したことです。
定年後、無理して嫌な人の顔を見ながら会社勤めを続けてことを誇りに思うか、嫌ことは避けて自由になって、収入は大幅に減ったけど自由になって良かったと思うかでした。
当然答えは後者でした。
大江英樹氏の著書『老後不安がなくなる 定年男子の流儀』の中で、大江さんがクロアチアの城壁で見つけた言葉『いくら黄金を積まれたも自由を手放してはいけない』の言葉に象徴されるように、自分なりの自由を得なかったら今わに際にきっと後悔するだろう思ったのです。
貴方は、お金と自由と天秤かけたらどう判断しますか?
次はお金に対する僕の考えを記したいと思います。
コメント