こんにちは、
よしおです。
100歳まで生きたいですか?
と質問されれば、即座に次のようにと答えます。
生きたい!でも元気に生きたい。
せめて、自分のことは自分で出来る程度には元気でいたい。
でも、寝たきりで自分でトイレにも行けず、介護されてまで長生きなんてしたくとは思いません。
だから健康で自立して生活できるなら喜んで100歳でも、その先でまでも生きたいと思います。
でも、そんな保証はないし、現に100歳や近くまで生きている人の多くは介助や介護が必要です。
だから、僕は100歳までは生きたいけど、生きたくないという矛盾の感情を持っています。
医学の進歩?ってなに
昨年母は、83歳で亡くなりました。
数年前より施設に入っていて、離れて暮らす僕は、年に一度しか会いに行けませんでした。
81歳くらいまでは、僕のことを認識してくれていましたが、最後の2年間は、全くわかってもらえませんでした。
母の亡くなる1年前に施設から、書面にサインをしてほしいと申し出がありました。それは、何かあった時、医療行為をするか否かでした。
私と妹の意見は、「しない」でした。
ところが父が迷ったのです。
えっ?僕と妹は意外に思いました。
なぜならそんなに仲の良い夫婦には見えなかったからです。
そこで僕は実家に帰省して父の話を聞きました。
なにか僕らには分からない理由があるのではと思ったのです。
しかし、父の話を聞いても明確な理由は分かりませんでした。結局、僕が父を説得して医療行為をしないという文書にサインをしました。
それから約1年後に母は亡くなりました。
もしあの時、医療行為、つまり延命処置をしてほしいにサインをしていたら、母はやせ細った体のまま生かされていたのでしょうか?
それを思うと可哀そうで辛いです。
なんか、今の医療の進歩は、死なせないことが一番と考えているのではと思うことがあります。
延命処置は断る
もう25年前のことですが、今の妻と結婚しました。結婚と言っても横浜の区役所に婚姻届けを出しただけで、式も披露宴もしませんでした。
理由はいろいろありますが、お互い特に後悔はしていないようです。
さて、僕が妻との結婚を決めた一番大きな理由は、その死生観でした。
お互い死に関してはドライな考えで、またその時から尊厳死というか延命処置はしない、ということで意見は一致しました。また臓器提供もOKでした。
お互いに肉体を客観的に捉えているところに共感して結婚相手に決めたのです。
そして現在、僕らには3人の子供がいますが、僕や妻に何かあった時は延命処置はしないこと、と念を押しています。
100才まで生きるに嬉しくない人の意見
シティリビングでは、20代から40代の働く女性に、
「100歳まで生きられるのはどう?」というアンケートを取っています。
その中の“うれしくない”派の意見は現実的で、ある意味まともかなと感じました。
いくつかチェックしてみましょう。
医学の進歩のせいで、病気になっても死なせてもらえない(26歳)
先にも書きましたが、現代は逝かせてもらえない時代なのです。
僕はおかげさまで、特に悪いところはないようですが、辛い病気にはなりたくないですね。
100歳になるまで貯金は底をつき下流老人になりそう。もらえる年金も期待できないし、長生きはリスクでしかない(45歳)
鋭い意見です。現代は長生きしても国や社会に頼ることが出来ないのです。自立と独立を目指さないといけないのです。
知り合いがいるならいいが、友達がいなかったつまらない。健康ならいいがそうでなければしんどい
近所の農家のご主人が85歳なんですが、とっても元気なんですよ。
仕事も続けていて、遠くから挨拶しても反応早いし。
でも、友人たちがみんな逝ってしまって寂しいよって言っていたな。。。
まとめ
最近、やたらに100歳、100歳と言われるようになった。
100歳まで生きる人が増えてきたからでしょう。
僕の個人的意見ですが、人間にはもともと100歳まで生きる能力が備わっていることと、
医療の世界では、死なせない、逝かせないを優先しているかだと思います。
中には自立している100歳の方もいますが、人生はやはり70年から80年でしょう。
毎日懸命に生きていて、気づいたら100歳になっていた、なんていいけどね。
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