天寿を全うするについて考える

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こんにちは、
よしおです。

天寿を全うするというと高齢まで生きた人のことを指すようなイメージがあります。
しかし、天寿という言葉の意味には、長く生きたという意味は含まれていません。

つまり天寿とは天から授かった命、自然の寿命という意味で、それが長いか短いかは関係ないようです。

つまり100歳まで生きようが、若くして亡くなろうが天寿を全うしたと言えるのではないかと僕は思います。

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天寿は最初から決まっているのか?

僕の会社員時代の思い出でもっとも辛かったことの一つが、同い年の取引先の方が、30代前半で急死したことでした。

はっきりした年齢は憶えていませんが、僕がまだ独身だったことから多分32,3歳頃のことだったと思います。

前夜は同僚と普通の飲んでいたということで同い年だったこともありショックでした。

また50代で急死された先輩社員、取引先の方もいました。

ついつい前日にお会いしていた方が、その後急死されたこともありました。
人生なんてわからないな、やはり今できること、やりたいことをやって日々大切に生きるしかないな、とその度に思ったものです。

さて、その天寿または天命というのは、生まれた時から決まっているのでしょうか?
少年の頃、怖いマンガで人の命は蝋燭(ろうそく)の長さで決まっているというのがありました。

その蝋燭が安置されている場所があって、そこに行くと人の名前と火のついたろうそくがあるのです。しかしそのろうそくはそれぞれ長さが違います。

そしてたまたまた見た自分のろうそくが異様に短くなっていて長い蝋燭と入れ替えるということするようなストーリーだったと思います。

多分、人の人生は運命で決まっていると考える人は、生まれた時からその人の人生の長さは決まっていると考えるのでしょう。

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天寿は自分の選択の結果

僕は、人生は日々の選択の結果と考えています。
僕は、日々大なり小なり選択しながら生活しています。
何時に起きようか、朝食は何食べようか、出勤なら何時の電車に乗ろうかなど。

ある事故が起きるといつも乗る時刻と違う電車に乗っていて、事故に遭遇した、または免れたという話をよく聞きます。

つまり自分の意志か他人からの依頼または強制によるかは別として選択の結果により何かが起きたり起きなかったりすると思います。

だから僕は、天寿とは自分の選択の結果というのが考えです。

だから、長生きしようと思えば、安心安全と思われる選択を続けていけば、そうなるはずです。

しかし、そうならないが人生です。
つまり自分で安全だと思って選択したことがそうでないこともあるのです。

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まとめ

つまり僕は、日々いろんな選択をしながら生きています。
日常生活では無意識で行っていること圧倒的に多いですが、人生に岐路となる例えば進学、就職、結婚となるとそれなりに考えて選択します。

そして僕が心がけているというか自分への戒めにしているのが、選択したことに「期待しない」ということです。

もちろん自分でいいと思って選んだのですから、全く希望や期待がないわけではありません。つまり過剰な期待や希望を持たないということです。

就職した会社、結婚した相手に過剰な期待を寄せない。

つまり天寿を全うするというのは、目に前の一日一日を大切に生きていくことだな、と自分に言い聞かせています。

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