こんにちは、
よしおです。
中学生の時、10歳年上の叔父が一冊の本をくれました。
それは五木寛之の「青年は荒野をめざす」。
すぐには読まなかったけど、高校生になってから読みました。
その本が面白くあっという間に読んでしまい、その後五木さんの作品を読み漁りました。
そして進学校でもなかったのに気が付くと五木さんと同じ大学に通っていました。
そんな五木さんも気が付けば80代。
そういう僕も60代。人生の終点を意識する年齢になってきました。
そんな時五木さんの考え方が参考になります。
定年になったから、60歳を越えたからといって、何かをしなければいけないわけではありません。
このブログでは、しばらく五木さんの本を参考に定年後、そして老後への生き方について考えて行きたいと思います。
老後の生活の悩みに悩む
自分の健康や家族、老後の生活で悩むことがあるが、なかなか決断ができない。
優柔不断な正確で決断を先延ばしにして悩み続けてる。そんな自分に自己嫌悪を感じてしまう。
という問題提示があります。
ハッキリ言って誰も感じていることだと思います。
自分の健康や家族のこと、そして老後のことは誰でも先延ばしにしてしまいます。
僕も特に88歳の老父のことに関しては、元気なことをいいことになかなか決断ができません。急に倒れたりしたらどうするのか?そしてその後のことなど、先日実家に帰って妹夫婦とも会いましたが、そんなことは話題にはのぼりませんでした。
その時になってみないとわからない、というのが本音と思います。
ただ、自分と妻のことに関してこれから5年そして10年くらいまではお金に関しては、大枠で妻と話しています。
老後は風に吹かれて
さて、上記の問題に関して、五木さんはどんな回答をしているでしょうか?
風向きを感じながら、今日は西へ、明日は東へとフワフワと漂っていく。昨日言ったことと今日言うことが違っていてもいい。
というものでした。
なるほどね。
感覚的には、ヨットやディンギー、ウインドサーフィンのようなものでしようか?
風を読みながらセールを閉じたり広げたり、そしてタックをしながら進んでいく。
僕はそんな印象を受けました。
生きていくことは、毎日が選択の連続です。
大きな問題、例えば就職、結婚から日常の生活まで、常にどっちにする、何をすると選択しながら生きています。
その日々選択してきた結果が今の自分なのです。
内定をもらった2つの企業のもう一方に行っていたら、妻に出会う前に付き合っていた彼女と結婚していたら、あの時ひと言伝えていたら、逆に言わないでおけば良かったといろんな選択をしてきて後悔もあるし、良かったと思うこと両方あります。
五木さんも「あれか、これか」と選べるときは選べばいいし、選べない時は、「あれも、これも」でもかまわないですよ、と説いています。
まとめ
五木さんはそのときどきの状況に応じて、こっちの道、あっちの道と変っていけばいいのです、と説いています。
とても気持ちが楽になるコメントです。
強い信念のもと、その生き方に固執するあまり、変化に対応できず、自分だけでなく周囲も巻き込んでしまうというのは避けたいですね。
僕が実践している「プロティアン・キャリア」に通じるものがあります。
つまり環境の変化に応じ、自分軸を持って自分自身を変化させていくという柔軟でしなやかなキャリア形成のことです。
ここでいうキャリアとは、仕事という狭義なものではなく、人生そのものです。
定年後は風に吹かれて、風を読みながら進んで行きたいですね。
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