こんにちわ、
よしおです。
僕の偏見かもしれませんが、映画を観ていると近未来の映画は、あまり楽しいものは無くて、環境汚染や地球の破壊につながる映像が多いように思います。
一方、古い時代の映画は、なにか良かった的に感じるもが多いように感じます。
例えば、『ALWAYS 三丁目の夕日』など、その最たるものだと思います。
昔はよかった、古き良き時代。
でも今の若いものは、的な考え方は、人間の性(さが)なのかもしれません。
一方、人間は後悔する生き物とも思います。
教訓と言い換えてもいいと思います。
賢者は、歴史から学び、愚者は自分の経験からだけで判断する、とも言われます。
たかだか、人間の一生はせいぜい100年。
しかも、経験から判断することなんて、せいぜい30年から50年の経験でしかないと思うと、ちっぽけな存在とも思います。
なんだかんだと書きましたが、今日は定年後の後悔について考えたいと思います。
定年後 後悔すること 挑戦
ある本で読んだことですが、人生の終末を迎えようという人たちにインタビューした回答で一番多かった内容は、「挑戦しなかったこと」だということです。
挑戦するというと、なにか大そうなことですが、日々、あれをやろう、これをやろうと考えながら実行しなかったことは誰にでもあると思います。
それはなぜしなかったのか?
単に面倒だったから、経済的な問題で出来なかったことともあると思います。
そして挑戦することで、一番恐れるのは失敗を考えるからかもしれません。
でも、失敗を恐れるならしっかり準備をすればいいわけです。
例えば、好きな女性がいたとしたら、いきなり告白して抱きついてもだめです。下手すると逮捕されるかもしれません。
親しくなるには、それなりの手順が必要です。
登山でも、低いところから登るのがいいので、いきなりヘリコプターなどで、頂上近くに降ろされたら、生命の危険となります。
つまり挑戦するとは、目標を決めて、こつこつ実行していくことだと思うのです。
でかいことをやりたいと思っていても、小さいことから始めないと出来なのです。
定年後 後悔すること バットマン
経済コラムニストの大江英樹氏は、僕の先生です。
一番お会いしたい人でもあります。
大江さんの本を読んでいると、バットマンという言葉が出てきます。
バットマンとは、定年後にやりたことがあるのに、あったのに、自分には無理と勝手に思い込み、やらないことを選択する人のことです。
つまり定年後起業して働くことは、意外とリスクは少ないとわかってもいて、いざ、自分がやることを考えと「でも」「しかし」と自分に言い訳して始めない人のことをバットマンというのです。
英語の「しかし」=but(バット)に引っ掛けているのです。
つまりバットマンになることが挑戦しないことことであり、今わの際に後悔することになるのです。
最後に
現役のサラリーマン時代も挑戦することはたくさんあります。
でも、会社員としての組織の一員だったり、家族を養うという立場だったりすると挑戦することにも限度があります。
特にお金のかかること、または収入に関することに挑戦すると時に暴挙となることもあります。
一方、定年後になれば、現役時代と違って縛られることもすくなくなります。
特に貯金や退職金のほとんどをつぎ込むような挑戦は、絶対やめた方がいいですが、小さく始められることは挑戦した方がいいです。
人生は二度ないのですから。
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